『ジム&アンディ』で考える、「自分」という概念
『ジム&アンディ』は、NETFLIXオリジナル作品で、俳優のジムキャリーの演じた映画『マン・オン・ザ・ムーン』の舞台裏とインタビューを映したドキュメンタリーだ。
ジムキャリーといえば、『イエスマン』や『マスク』など、超絶明るいコメディ映画の代名詞的存在だ。
そんな彼の最近は、完全に「悟りを開いた人」になっている。
「自我を手放す」
「『自分』は存在しないもので、概念に過ぎない」
そんな彼が、「自分」ではない完全な他人を演じきった『マン・オン・ザ・ムーン』での自分を振り返っているのがこの作品だ。
彼はアンディ・カウフマンという実在のコメディアン役で出演し、周りの演者たちは当時に実際にアンディの友人や仕事仲間が本人役として登場する。
見ていただけるとわかるが、この作品の中での彼はまさに異様なものだ。
彼は役作りの一環で、撮影外などの普段の生活でもアンディに扮して過ごす。立ち振る舞いや話し方など、常軌を逸するほどの徹底ぶりだ。
<自分という概念は存在しないということ>
この彼のアンディになりきる立ち振る舞いは、まさに自我を超越したものだ。
「自分が役として演じている」という自我を超越し、もうこの世には存在しない人間に憑依するかの如く演じる彼を見ると、ますます「自分」とは何なのかわからなくなる。
普段生活していると、見ず知らずの人たちの中で過ごす瞬間が誰もがあるだろう。一人でカフェで作業していたり、買い物している時も、周りの全員が自分の知り合いということはなかなかないはずだ。
そのような、「他人の空間の中で過ごす自分」という概念は、周囲の人も同じであり、他人にとっての自分は「他人」である。
こうしてこの世の中で、『ジブン』と定義づけたもの以外の他人に囲まれていると、「『ジブン』を定義づける意味と必要性」がわからなくなる。
もし世界から僕一人が消えていっても地球上の人のほとんどは困らないし、家族や友人が悲しむくらいだ。
<そうは言っても。。。>
ただ、そうは言っても、自分としてに生活は続くのが実際のところ。
女の子とデートしに行くのは「ジブン」だし、映画を見ているのは「ジブン」で、こうしてブログで思いをつらつら述べているのも「ジブン」なのは変わらないものだ。
ここからわかるのは、「ジブン」のためだけに生きていくのは、何の価値もないということだ。
自分が生活できているのは他人である誰かのおかげで楽しく快適に過ごせているのは事実だ。
家族や友人以外にも、コーヒーを淹れてくれる店員や、カフェの快適な空間をデザインしてくれる人のおかげで、こうしてゆったりブログを書くことができている。
当たり前のようだが、この作品を通して、「自分と他者との繋がり」の意味合いを再認識できたように思う。