『グッド・タイム』は、何が「グッド・タイム」だったのか。その意味について考える。
映画『グッド・タイム』は、2017年に製作された、ペニー・サフディ、ジョシュア・サフディ兄弟監督による作品だ。
あらすじ
ニューヨークの最下層で生きるコニーと弟ニック。2人は銀行強盗をしようとするが、途中で弟が捕まり投獄されてしまう。弟は獄中でいじめられ、暴れて病院へ送られることに。それを聞いたコニーは病院へ忍び込み、なんとか弟を取り返そうとするが---。
(filmarksより)
この作品は、貧乏な暮らしをしている兄コニーと、知的障害を抱える弟ニックが話の主人公だ。
コニーの恋人のコリー。
そして、コニーが弟と間違えて救ってしまったレイという男
ここら辺が中心となってストーリーが進む。
ロバート・パティンソンの素晴らしい演技
ロバート・パティンソンといえば、ハリーポッターでのセドリック・ディゴリー役が有名だ。
そんな彼の演技は、素晴らしかった。
ハリーポッターの時の優等生感溢れるキャラとは打って変わり、今回の役は、ニューヨークの最下層で生きる貧乏なコニー役を演じた。
まさに迫真の演技だと言っていいと思う。
強盗後の、警察に追い詰められている時の彼の表情は凄まじい。
一方で、弟のニックを愛する兄としての優しさも同時に見られ、
その両者のバランスが見事に表現されていた。
独特な撮影技法
次に素晴らしかったのは、撮影技法だった。
- 手持ちカメラでの接写
- 客観して大きくズームアウト
この2つを映画前半と後半で見事に使いわけていた。
まず手持ちカメラでの接写の多い前半シーン。
あえて手持ちカメラで撮影することで、ズームも相まって、手ブレが発生することで
コニーとニックの動揺や緊張感を演出していた。
次に客観したズームアウトを多用した後半シーン。
これは、動揺しているコニーたちを、実際に警察が追っていることを見せるために用いたと思う。
この作品のようなクライムサスペンスの展開をよりリアルなスピード感で味わえるような画面撮りであった。
「グッド・タイム」の意味
作品を通して、コニー・ニック兄弟が犯罪を起こし、彼らが逮捕されていく様を映しとっており、観ている僕らからして、「グッドタイム」であるようには決して思えない。
また、ニックと間違えて病院から連れ出されたレイという男も、
最後にはビルから落ちて死んでしまい、
恋人のコリーもクレジットカードを止められ、コニーとの関係が破綻しかけるように、彼らを取り巻く周囲の人々も不運な結末に終わっている。
一方で、コニーは映画を通して、障害者としてではなく、普通の人間として扱われ、表現されている。
兄と一緒に強盗をしたり(覆面が同じ)、普通の犯罪者が収容される留置所に入れられたり。
ただ、エンドロール内での最後のシーンでは、障害者向けの施設で生活するシーンが映され、
そのセラピーの中で、「家族に問題がある人」という質問に反応している。
ここから、コニーにとって「弟を普通の弟として生活させてあげたい」という願いを叶えた意味でもグッドタイムであって、
ニックにとって果たして本当にグッドタイムであったかはわからないということだ。
おそらく違うだろう。
つまり、コニーにとってみたこの映画が、グッドタイムであったということなのだと僕は思う。