名もなき映画日記

年間約150本映画を観ている大学生が、映画の感想と考察を中心に書いているブログです。

『オールド・ボーイ』感想 デスが本当に悪いのか問題について

映画『オールド・ボーイ』は、2003年に製作された、パク・チャヌク監督による作品だ。

 

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あらすじ

ごく平凡な生活を送っていたオ・デスはある日、突然誘拐され、15年間監禁される。解放されたデスが、自分が監禁された理由を解き明かすために奔走する5日間の物語。

(wikipediaより)

 

 

この作品は、土屋ガロン嶺岸信明による『ルーズ戦記 オールドボーイ』という漫画を原作にしており、

それをパク・チャヌク監督が映画化したものだ。

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この映画では、監禁された男であるオ・デスと監禁したイ・ウジンとの戦いと

彼らの互いの隠された利害関係の真相が描かれている。

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彼らに加えて、監禁後にデスが出会うミドという若い女性もこのストーリーで重要な鍵を握っている。

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素晴らしい脚本

この作品は、映画を通して予想できないストーリー展開が魅力だ。

 

なぜ男は監禁されたのか?誰に監禁されたのか?

 

被害者と加害者の利害関係の真相が解き明かされていくのを、僕たちは目の当たりにする。

 

この映画の面白いところは、被害者と加害者の境界線が曖昧だということだ。

 

自分にとっては完全に被害者だと思っていても、実は相手からすれば自分こそ被害者だったということはよくあることだ。

 

そのような微妙な利害関係を15年というかなり大きなスケールで描かれている。

それだけ、互いの因縁は強いということだ。

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重いストーリーを陽気に見せる演出

この作品は上記したように、15年間溜まった両者の因縁をぶつけ合う話なだけに、非常に重いストーリーをたどることになるのだが、

あえて陽気な演出を見せることで、視聴者を飽きさせない工夫が施されている。

 

・軽やかな音楽

この映画ではバレエを思わせるような軽やかで美しい音楽がBGMに流れる。

 

これによって映画全体に流れるような美しい展開を加速させたように思う。

 

・7.5階での戦闘シーンの撮影

デスが監禁されていた7.5階のビルでの横移動する撮影を用いた戦闘シーンは、非常に印象に残る。

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狭い通路を利用して、ストリートファイターのような格ゲーを思わせるような2次元的戦闘シーンを作り上げたのは面白かった。

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ペントハウスでの戦闘シーン

ペントハウスでデスがウジンと対峙するシーンがある。

 

そこでデスが暴れようとした矢先に、ウジンの手下の男に思いっきり投げ飛ばされる。

 

その投げ飛ばされっぷりが、もうゲームの世界のように投げられていて、それが滑稽でもはや笑える。

こういう演出をしてくれる韓国映画は個人的にも好きだ。

 

 

果たしてデスが悪かったのか問題

ストーリーの終盤で、これまでの経緯の真相がウジンの口から全て明らかになる。

 

ウジンの主張では、デスが自分と自分の姉が性行為をしている姿を目撃したために姉が自殺してしまい、その復讐をデスに行う

というものだった。

 

でも、それだけが理由で15年間も監禁して復讐をするって、そんなにデスが悪いか?と思わされた。

 

僕が思うに、

  • ウジンが姉と学校の校舎内で性行為をしていたこと自体が悪いのではないか
  • デスがその話を明かしたのは親友のジュファンにだけで、ジュファンがその噂を広めたために起きたことで、悪いのはジュファンでは?

 

ということだ。

見終わった後に冷静に考えてみると、そんなにデスは悪いことしてないんじゃないかと思わされてしまい、彼がとても不憫に思えた。

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許しを請うために舌を切ったのは、正直ほんとに違ったでしょと。笑

 

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『わたしは、ダニエル・ブレイク』に見る人々の苦しい生活と、絶えない隣人への愛。

映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、2016年に製作された、ケン・ローチ監督による作品だ。

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この作品は、2016年のカンヌ国際映画祭にて、パルムドール賞を獲得している。

 

あらすじ

イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするダニエルだったが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく。

(filmarksより)

 

増え続ける貧困と格差

ケン・ローチ監督は、2014年に製作した『ジミー、野を駆ける伝説』を最後に、映画界からの引退を表明していたが、

現在のイギリス、そして世界中で広がる貧困や格差に苦しむ人々を目の当たりにして、引退を撤回して本作の製作に挑んだ。

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この作品は、上記したようなイギリスに起きる貧困や格差に苦しむ人々を焦点におき、

彼らの生きる姿を映画にしている。

 

 

常に人々に優しく救いの手を差し伸べるダニエルの姿

ダニエルは、自身が国からの援助が貰えずに苦しい生活を強いられているのにも関わらず、

二人の子供を持つシングルマザーのケイティに対して、子供の面倒を見たり、家の呼称を修理してあげるなど、

見返りを求めない優しさが彼にはある。

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まさに、聖書における隣人愛そのものだ。

 

 

国の不合理なシステム

この作品の中で、ダニエルが慣れないパソコン操作に苦しみ、職員を助けを求めるシーンがある。

 

そこで助けにでた職員の一人であるアンという女性が、彼の操作を手伝ってあげるのだが、

他の職員に見つかり、規定違反だとして途中で中断させられてしまう。

それによって、ダニエルは十分な書類を用意できずに給付を受けることができなくなってしまう。

 

こんなことは、少しの時間でも割いてあげれば、彼が本当は救われていたのかもしれないと思うと、非常に歯がゆい気持ちになる。

 

これが現状なのであれば、今すぐに変えていかなければならないと思わされるシーンだった。

 

 

ケイティが見せる極限のストレスに、胸が苦しくなる

ケイティと子供二人とダニエルで、配給センターに食料や備品を受け取りにいくショーンがある。

 

そこでケイティはスタッフとともに食料などを取っていくのだが、

彼女は取った缶詰をスタッフに見られないようにその場で開けて食べようとする。

それだけ、彼女が何も食料を取らずに飢えの限界まで耐えていたということだ。

 

スタッフとダニエルに介抱されるケイティは泣き崩れる。

その姿を見るだけで、本当に胸が苦しくなる

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本当にイギリスのような先進国でもこのようなことは起きているということだ。

そして、同時に日本でもこのようなことが日常的に起きているということは、忘れてはならない事実だ。

 

 

国家としての機能に限界があるのではないかということ

ケン・ローチ監督は、この映画を通して「政治に訴えてシステムを変えなければなりません。」と述べている。

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これはごもっともな意見で、僕もそうすべきだと思った。

 

でも一方で、国がもっとやるべきことをやらなくてはならないと思ったと同時に、

 

国がやれることにも限界があるのではないかと僕は思った。

 

書類の手続きの簡略化や支援などは、今の状態から改善していくことは十分に可能だが、

それだけで彼らの全員を貧困から救い出すことは不可能だ。

 

 

そこで、僕は地域や企業、そして個人というより小さなスケールで支援を行っていく必要があると思う。

 

NPO団体などの活動は現在でも行われているが、それだけではなくて、

あらゆる貧困の問題を抱えた人々を救うために仕組み作りも同時に行っていかなければならない

 

そうしないと、彼が最後に遺した、隣人愛は彼のものとして留まり、

それが次につながっていくことがなくなってしまうのは問題だ。

 

 

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『教授のおかしな妄想殺人』は、邦題の付け方のミス。もはや妄想ではないという話。

映画『教授のおかしな妄想殺人』は、2015年に製作された、ウディアレン監督による作品だ。

 

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ウディアレン監督は、『ミッドナイト・イン・パリ』や『ローマでアモーレ』、『マジック・イン・ムーンライト』など数々のヒット作品を作っている名監督だ。

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あらすじ

夏の日差しがきらめくアメリカ東部の大学に赴任してきた哲学科教授のエイブは、真っ暗闇の中を生きていた。人生の意味を見失った彼は、慢性的に孤独な無気力人間になってしまったのだ。ある日、迷惑な悪徳判事の噂を耳にしたエイブは、自らの手でその判事を殺すという完全犯罪に夢中になっていく。かくして“奇妙な目的”を発見した途端、あら不思議、エイブの毎日は鮮やかに彩られ、身も心も絶好調に一変する。一方、エイブに好意を抱く教え子ジルは、彼の頭の中におかしな妄想殺人が渦巻いているとはつゆ知らず、燃え上がる恋心を抑えられなくなり……。

(filmarkより)

 

 

この作品は、ホアキンフェニックス演じる哲学教授のエイブと女子大生のジルを中心に話が進んでいく。

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良かった点

主演の素晴らしい演技力

この作品の主演を務めた二人の演技はすばらしっかった。

 

まず、殺人を犯すことを心に決めたことで生きる力が蘇ったというサイコパスの役を演じたホアキンフェニックスは、他の出演作同様、素晴らしかった。

 

前半の無気力な姿や風貌といい、後半の殺人者としての表情のサイコパス感といい、現実にいるか思わせるような演技だった。

 

次に、エイブに恋をする役を演じたエマストーンも、そんな可愛い女子大生いないだろと思わせられるけど、

理解の範疇を超えた異性に惹かれていく女性を見事に演じており、後半の殺人者だと確信してからの演技も良かった。

 

 

ウディアレンらしいストーリー展開

彼の作品の特徴として、

「元の状態」→「出来事が起きて感情起伏が起きる」→「元の状態に戻る」

というストーリー展開がよくある。

 

今回もそのような話の展開で、

「いつものお約束感」があって僕としては好きなストーリー構成だった。

 

また映画の終わりも、最初のシーン同様に、

役者の語り口とともにさらっと終わらせるスタイルなのも良かった。

 

 

残念だった点

エッジの効いていない演出

映画を通して、「ポップな殺人」をファンシーの描こうとしているのは分かるし、音楽もすごく雰囲気にあっていたのだけれど、

 

それによって、「殺人」という異空間が起こす緊張感が失われてしまっていた

 

エイブが殺人犯だと知ったジルの動揺や困惑を表現しようとしたエマストーンの必死の演技も、

その微妙に明るい空気感によって、何だか滑稽に見えて、信ぴょう性の薄いものになってしまった印象だ。

 

 

真実を知ってしまった私たちにとっては、後半は飽きてしまう

後半になって、やっとエイブが殺人者だとジルが知る頃には、私たち視聴者は

「そんなのもうとっくに知ってるわ」

という思いになってしまっている。

 

そしてそこから更に、通報を阻止しようとエイブがジルを殺そうとするのも、

文脈から私たちは簡単に予想できてしまう。

 

なのでオーディエンスとしては、予想できてしまう未来をその通りに見なければならないため、

エマストーンの緊迫した演技に感情移入するのは難しかった。

 

 

邦題のつけかたミスでしょ。。。

これはあるあるだが、この作品でも邦題のナンセンスさによって、

観客の意識をミスリードしてしまっていた。

 

そもそも「おかしな妄想殺人」って何やねんって感じがするし、

もはや妄想殺人ではなく、しっかり人を殺しているし、という。

 

映画全体の雰囲気を汲み取って邦題をつけようとした気持ちはわからないでもないが、

流石にこれは文句が出てもしょうがないと思う。

 

これは映画そのものは何も悪くないだけに、非常に残念なところだ。

 

 

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この「日本版予告」っぽさも、正直好きじゃない。。

Netflix発『ROMA/ローマ』に見る母性と女性蔑視について

映画『ROMA/ローマ』は、2018年に製作された、アルフォンソ・キュアロン監督による作品だ。

 

この作品は、ベネチア映画祭で、金獅子賞に輝いており、

Netflix作品では初めての快挙となっている。

 

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この作品は、メキシコシティに住む中流階級の家庭を持つ家族と、

彼らとともに生活をする家政婦の生活の姿をうつしたものだ。

 

中でも、家政婦の一人であるクレオを中心に、彼女目線で物語は進んでいく。 

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全編を通して白黒映画として描かれる

この作品では、白と黒のみのモノクロ映画となっている。

 

その理由は、アルフォンソ監督にとって半自伝映画だからということに他ならない。

 

映画の最後に、本作品のモデルとなった彼の家政婦であるリボに捧げられており、彼自身の体験をこの映画を通して表現しようとしていることがわかる。

 

 

母性の存在と、その強さ

クレオフェルミンという男と交わり、妊娠することになるが、死産してしまう。

 

その瞬間をカメラはひと時もカットせずに克明に描いており、目を手で覆いたくなるくらい、辛いシーンだ。

彼女が死んだ自分の子供を抱える姿は、非常に悲しみと切なさで満ち溢れている。

 

その後、家族の母であるソフィと子供達で旅行しにいくことになるのだが、旅行先の浜辺で、子供二人が海に溺れてしまう。

 

泳ぐことのできないと語るクレオだが、家族同然の子供たちを必死に助けようとし、なんとか救い出すことができる。

 

その時、彼女は不遇な運命で生まれゆく自分の子供を本当は産みたくなかったと打ち明け、

ともに生活をする家族との愛を強く感じるシーンがあり、それこそが一番上にあるみんなで抱き合うシーンだ。

 

このシーンは、涙なしには語ることはできない。

 

 

女性へのリスペクトの欠如を問題提起

この映画では、クレオとソフィがともに男から逃げられている。

 

クレオは、妊娠のきっかけとなる初めて性行為をともにした相手であるフェルミンという男に逃げられる。

彼は彼女が再度会いに来た際、脅してクレオを帰らせている。

 

ソフィは、旦那であるアントニオの不倫によって離婚することとなり、子供の生活の支えの全てを彼女自身が背負うことになる。

 

いくら旦那であるアントニオが他の女性を愛することになっても、子供たちへの愛を失うことは決してあってはならないことだ。

 

作中で、精神的に不安定な状態になったソフィはクレオに対して

「なんと言おうと、私たち女性はいつも孤独」だと言うシーンがあり、

 

ここに女性の家庭内での孤立と、男性の相手の女性に対するリスペクトの欠如を問題視していることを象徴づけていると言える。

 

 

タイトルから見る、愛の物語

タイトルである『ROMA』は、反対から読むと「AMOR」となる。

 

これはスペイン語で「愛」を意味している。

 

ここから、監督のこの作品におけるメッセージが推察できる。

 

彼にとって、家政婦を含めた家族には愛が満ちており、それを大切にしてほしいんだと私たちに訴えているように僕は思う。

 

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『フルメタル・ジャケット』に見る戦争における人間の矛盾した二面性

映画『フルメタル・ジャケット』は、1987年に製作された、スタンリー・キューブリック監督による作品だ。

 

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この映画は、ベトナム戦争時におけるアメリカ軍兵の心理変化に焦点をおいた作品だ。

 

二部構成にきっちりと分けられ、

前半部は、アメリ海兵隊に志願した青年たちの、鬼教官のもとで行われる訓練の様子を描いている。

 

後半部では、海兵隊として一人前になった彼らのベトナムでの行動が描かれている。

 

今回は、明確に分けられている二部構成に共通する「人間の持つ二面性」にフォーカスして感想・考察を述べていこうと思う。

 

名言の嵐の立役者であるハートマン軍曹

その前に、この映画で抑えておきたいのは、印象に残る数々の名言たちだ。

この作品を好きな人が多い理由の一つは、

ユニークなセリフを連発する様子が面白いからだと思う。

 

そのセリフを繰り出すのは、志願兵たちを教官として訓練するハートマン軍曹だ。 

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彼の志願兵たちに放つ言葉の数々は、どれも強烈でユニークだ。

 

「話しかけられたとき以外は口を開くな。口でクソたれる前と後に“Sir”と言え。分かったか、ウジ虫ども!」

 

「誰だ!どのクソだ!アカの手先のおフェラ豚め!」

 

「気に入った。家に来て妹をファックしていいぞ。」

 

「まるでそびえ立つクソだ!」

 

書くとキリがないくらい、彼の放つ言葉は全て名言と化している。

 

ちなみに、ハートマン軍曹を演じたロナルド・リー・アーメイは元海兵隊の軍人であった。そりゃあ説得力あるよなと。

 

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あらゆる分野で活躍している落合陽一氏も、この映画とともにハートマン軍曹が好きなようだ。

 

 

 人間の持つ二面性

戦争において、兵士たちは常に命の危険にさらされている。

そのため、彼らには

  • 人を殺さなければならない、という使命感
  • 人を殺してはいけない、という倫理観

 

という二面性を持っているといえる。

 

それは、主人公であるジョーカー(ジェイムス・T・デイヴィス)の格好から視覚的に見て取れる。

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彼の身に着ける格好には

  • 「Born To Kill」と書かれたヘルメット
  • 胸につけるピースバッチ

 

「生まれながらにしての殺し屋」と「ピースバッチ」相反するものだ。

 

それに彼はこの二つについて、「人間の二面性を表現しているんです」と言い、彼なりのジョークにしているが

実際には、彼の矛盾した心理状態をここで象徴的に表現している。

 

 

フルメタル・ジャケット」というタイトルから見る二面性

前半部では名言を連発するハートマン軍曹のもと、志願兵たちは洗脳に近い厳しい訓練を課せられる。

 

訓練の中で、「ほほえみデブ」を称されたレナード・ローレンスは周りの志願兵よりも

基礎的な身体能力に劣ることからミスを連発し、ハートマン軍曹に何度も罰を受ける。

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連帯責任でローレンス以外の人間が罰を受けるようになってから、周囲の志願兵は怒り彼をリンチすることになる。

 

最終的に、厳しい訓練やいじめに耐えきれず

夜中にトイレでハートマン軍曹を射殺し、自らの頭も打ち抜き自殺してしまうのだ。

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ここで使用された銃に込められた弾丸は、完全被甲弾(フルメタルジャケット弾)だった。

 

完全被甲弾は、「弾を潰さずに身体を貫通させることのできる」という特徴を持つ弾丸だ。

 

ここから、

  • 人を殺さなければならない、という使命感
  • 貫通させて苦しませない、という倫理観

 

 という相反する人間の心理的な二面性を暗喩していることがわかる。

 

 思考停止の先にある狂気(二面性の消失)

上に書いた人間の二面性の感情は、

戦場においてどんな人でも持っているギリギリの心理状態だ。

 

この心理状態が崩壊するのは、実際に人間を殺す瞬間に訪れる。

 

前半部の、ローレンスがハートマン軍曹を射殺するシーン。

 

そして後半部の、ジョーカーが敵の女性兵を射殺するシーン。

 

この人間の倫理観が崩壊するシーンの前後に、彼らを象徴するものがある。

 

それは、幼児性があらわになるということだ。

 

前半では、ローレンスが罰を受ける際に、ズボンを下ろして指をくわえるのを強制されるシーンがある。

 

後半では、射殺した後に、兵士たちが「ミッキーマウス・クラブ」のテーマソングを歌うシーン。

 

 

この二つのシーンから、

人間の二面性が崩壊し、思考停止になることで、兵士たちは幼児化することがわかり、

兵士たちを幼児化させることが、軍の狙いだということは安易に想像がつく。

 

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ゴッホさん(@goph_)のVoicy#269に学ぶ、アウトプットの重要性について。

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この画像を見て、誰かわかるだろうか。

 

彼は、画家のゴッホではなく、ツイッター、Voicy界隈でインフルエンサー的存在であるゴッホさんだ。

藤沢数希氏が手がける、金融日記からの恋愛工学生でもある。

 

twitter.com

 

 

ゴッホさんは、1年前にTwitterで知り、僕を完全なる非モテ男であることを自覚させてくれ、

恋愛工学の世界にリードしてくれた方でもある。

 

そんなゴッホさんは現在、Twitter以外でも、Voicyというアプリでモテについて発信をしている。

 

僕は日々ゴッホさんのVoicyの更新を心待ちにしながらアプリを開く日々を送っているのだが、

そんな彼のラジオの中で僕にとって非常に有益で、なんども聞き直したくなる回があった。

 

それは第269回目の、「インターネット上でアウトプットする方法」という題で語ったものだ。

#269 インターネット上でアウトプットする方法(2018年9月24日放送)/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア

 

この回は、ブログなどで様々なことについて書くことを趣味(仕事)にしている人にとって必聴の価値があり、

 

普段はそういうことをしていない人にとっても、

インターネットで発信することの意義を強く感じることのできる回になっている。

 

 

今回は、この269回の放送を今更ながら目に見える形でまとめることによって、

いま一度アウトプットの重要性について考え直し、また自分を戒める意味でも価値あるものにしていきたい。

 

 

アウトプットすることの意義 (Why)

・メディアのあり方の変化

これまで人に情報を伝えるツールはマスメディアが強かったことから、

インターネット・SNSの登場によってソーシャルメディアに力がシフトしていった。

 

ツイッターなどで個人が人々のリーチすることができるようになった。

(=個人のエンパワメント化)

https://www.amazon.co.jp/シフト――2035年、米国最高情報機関が予測する驚愕の未来-マシュー・バロウズ/dp/4478026548

 

・発信すればするほど、自分にも情報が集まってくる

たくさんアウトプットするだけ良質なインプットが可能になる。

その繰り返しによって、その質をさらに高めることができるようになる。

(有益な情報をつぶやく→プラスワンの情報を周囲の人が発信してくれる→自分にインプットできる)

 

・逆算思考を持つ

アウトプット前提で行動する

→インプットの質が圧倒的に良くなる

 

 

アウトプットする方法 (How)

・特性を理解し、適切なメディア・形式で発信する

短文・長文・音声・静止画・動画

それぞれに長短がある。

(音声:スキマ時間に差し込める)

 

流入元を考える

ソーシャルメディア流入か、グーグルからの流入

SNSモデルなのか、SEOモデルなのか)

 

・複数のメディアを使う

フォロワーの循環が期待できる

→自分とユーザー層の親和性が高いものを考える

Twitterとブログ、Twitterと音声

TwitterとVoicyは相性が良い)

 

 

アウトプットする上で気をつけていること (What)

・どう思われるかを気にしない

自分の中でいくらシミュレーションしても意味がない

→結果を見てから分析しないと、その次の成長につながらない

匿名がオススメ

 

PDCAを高速で回す

短いスパンで1日で何周も回す(通知欄を随時確認する)

どういうのが伸びて、どういうのが伸びなかったのかを分析する

→アナリティクスの活用

(DCPAと今は言われています)

 

・まずは量をこなす

初めから高クオリティを目指さない

→投下した量からしか質は生まれない

 

 

以上が放送で話されていた内容だ。

 

話されたこと全てをまとめきれてはいないと思うので、ぜひ一度ゴッホさんのVoicyを聞いてみてほしい。

voicy.jp

 

 

改めてまとめてみると、結局はとにかくたくさん量をこなすことが何よりも重要だということがわかる。

 

Twitterを開設したものの、全然ツイートできていないので、もっと量を増やすことに専念しなければと改めて思わされた。

 

少し話が逸れるが、この回では斉藤賢爾氏の「新世紀 ブロックチェーンの未来」というや、安宅和人氏の「イシューからはじめよ」という著作が話に上がっていて、

 

僕の学んだ先生に関連する話題であったので、

このブロックチェーンについての話やイシューの見極めなどの話について、いつか書こうと思う。

 

https://www.amazon.co.jp/信用の新世紀-ブロックチェーン後の未来-NextPublishing-斉藤-賢爾/dp/4844398075

 

https://www.amazon.co.jp/イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」-安宅和人/dp/4862760856

 

 

『シンプルメン』をアップリンク吉祥寺で観た。 ネタバレなしで映画を観る前にオススメしたいこと。

映画『シンプルメン』は、1992年に製作された、ハル・ハートリー監督による作品だ。

 

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あらすじ

ニューヨークで泥棒をしている兄ビル(ロバート・バーク)と、真面目な大学生の弟デニス(ウィリアム・セイジ)。二人には伝説的な野球選手であり今では疎遠な父親がいたが、23年前の爆破テロ事件の容疑者として逮捕される。兄弟は刑務所を訪れるも父は脱走。二人は父親を捜そうと、女主人ケイト(カレン・サイラス)とルーマニア人女性エリナ(エリナ・レーヴェンソン)のいるバーを訪れる。

(シネマトゥデイより)

 

 

この作品は、刑務所から脱走した父の行方を追う、二人の兄弟の姿を描いた作品だ。

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いわゆる、「ロードムービー」というジャンルの映画だ。

yu-asai.hatenablog.com

 

 

 

ロードムービーというだけあって、兄弟の二人は荒野を旅し、そこで出会う人との交流を通して

彼らの思いが変化していく。

 

 

今回は、この映画を観る前に、ぜひ知っておきたいこの映画の素晴らしさを紹介したいと思う。

 

 

映画的なことは起こらないということ

この映画では、怪獣も出てこないし、殺人も起きない。

 

言葉に収まらない感情を、表情で、行動で、時にダンスで見せる。

それに魅せられる。

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ロードムービーならではの細かい機微な反応を見ることで、彼らの持つ様々な思いに触れることができるだろう。

 

 

兄弟関係、父子関係を描く

この作品の中心となるのは、上記したように

兄のビルと弟のデニス、そして彼らの父だ。

 

 

友人関係はともかく、兄弟や親など、血縁関係にある人との繋がりは特別なものだ。

 

これもまた簡単に言語化できるものではない。

 

兄が弟を思う気持ち、弟が兄を思う気持ちは多様でありながら、

その特別さは、この映画にとって、そして僕にとって非常に共感できるものだった。

 

なので、兄弟関係を持つような人には心から勧めたい作品だ。

 

 

また、一体何者なのかわからない父の姿を追うことも、彼らにとって自分とはなんなのかを追うことと同じ意味合いを持つものだといえる。

 

父子関係の繋がりは、母子関係における愛情とはまた異なった性質を持つ、得体の知れないものだ。

この父子関係の得体の知れなさは、『パリ、テキサス』や『エンドレス・ポエトリー』でも感じることができる。

 

 

これを読んで、何かしら引っかかりを感じる人がいれば、ぜひこの作品を強く勧めたい。

 

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