『教授のおかしな妄想殺人』は、邦題の付け方のミス。もはや妄想ではないという話。
映画『教授のおかしな妄想殺人』は、2015年に製作された、ウディアレン監督による作品だ。
ウディアレン監督は、『ミッドナイト・イン・パリ』や『ローマでアモーレ』、『マジック・イン・ムーンライト』など数々のヒット作品を作っている名監督だ。
あらすじ
夏の日差しがきらめくアメリカ東部の大学に赴任してきた哲学科教授のエイブは、真っ暗闇の中を生きていた。人生の意味を見失った彼は、慢性的に孤独な無気力人間になってしまったのだ。ある日、迷惑な悪徳判事の噂を耳にしたエイブは、自らの手でその判事を殺すという完全犯罪に夢中になっていく。かくして“奇妙な目的”を発見した途端、あら不思議、エイブの毎日は鮮やかに彩られ、身も心も絶好調に一変する。一方、エイブに好意を抱く教え子ジルは、彼の頭の中におかしな妄想殺人が渦巻いているとはつゆ知らず、燃え上がる恋心を抑えられなくなり……。
(filmarkより)
この作品は、ホアキンフェニックス演じる哲学教授のエイブと女子大生のジルを中心に話が進んでいく。
良かった点
主演の素晴らしい演技力
この作品の主演を務めた二人の演技はすばらしっかった。
まず、殺人を犯すことを心に決めたことで生きる力が蘇ったというサイコパスの役を演じたホアキンフェニックスは、他の出演作同様、素晴らしかった。
前半の無気力な姿や風貌といい、後半の殺人者としての表情のサイコパス感といい、現実にいるか思わせるような演技だった。
次に、エイブに恋をする役を演じたエマストーンも、そんな可愛い女子大生いないだろと思わせられるけど、
理解の範疇を超えた異性に惹かれていく女性を見事に演じており、後半の殺人者だと確信してからの演技も良かった。
ウディアレンらしいストーリー展開
彼の作品の特徴として、
「元の状態」→「出来事が起きて感情起伏が起きる」→「元の状態に戻る」
というストーリー展開がよくある。
今回もそのような話の展開で、
「いつものお約束感」があって僕としては好きなストーリー構成だった。
また映画の終わりも、最初のシーン同様に、
役者の語り口とともにさらっと終わらせるスタイルなのも良かった。
残念だった点
エッジの効いていない演出
映画を通して、「ポップな殺人」をファンシーの描こうとしているのは分かるし、音楽もすごく雰囲気にあっていたのだけれど、
それによって、「殺人」という異空間が起こす緊張感が失われてしまっていた。
エイブが殺人犯だと知ったジルの動揺や困惑を表現しようとしたエマストーンの必死の演技も、
その微妙に明るい空気感によって、何だか滑稽に見えて、信ぴょう性の薄いものになってしまった印象だ。
真実を知ってしまった私たちにとっては、後半は飽きてしまう
後半になって、やっとエイブが殺人者だとジルが知る頃には、私たち視聴者は
「そんなのもうとっくに知ってるわ」
という思いになってしまっている。
そしてそこから更に、通報を阻止しようとエイブがジルを殺そうとするのも、
文脈から私たちは簡単に予想できてしまう。
なのでオーディエンスとしては、予想できてしまう未来をその通りに見なければならないため、
エマストーンの緊迫した演技に感情移入するのは難しかった。
邦題のつけかたミスでしょ。。。
これはあるあるだが、この作品でも邦題のナンセンスさによって、
観客の意識をミスリードしてしまっていた。
そもそも「おかしな妄想殺人」って何やねんって感じがするし、
もはや妄想殺人ではなく、しっかり人を殺しているし、という。
映画全体の雰囲気を汲み取って邦題をつけようとした気持ちはわからないでもないが、
流石にこれは文句が出てもしょうがないと思う。
これは映画そのものは何も悪くないだけに、非常に残念なところだ。
この「日本版予告」っぽさも、正直好きじゃない。。