『羅生門』で問われるエゴイズム
映画『羅生門』は1950年に製作された黒澤明監督による作品だ。
原作は、芥川龍之介の小説『藪の中』で、それを脚色したものだ。
はじめ僕は、高校の教科書にもある芥川の『羅生門』を映画化したものだと思っており、
こんなジャケにある男前なんて登場するんだっけ、、、と思ったけどそれとは違ったようだ。
映画は、「エゴイズム」がテーマとして描かれているように思う。
上にあるジャケに映る、三船敏郎演じる盗賊の多襄丸が、侍である金沢という男を殺したとして役所に捕まり、
役所で現場で何が起きていたのかを、多襄丸と金沢の妻、そして霊として殺された金沢が登場し、3人の言い分が話される。
それを羅生門の下で現場にいた検非違使の男が、隣にいる旅法師と下人に話すストーリーだ。
ちなみに3人の言い分は全く異なるもので、何が真相かはわからない。
しかし、検非違使の杣売りはその現場を実際に見ていたので、
3人が完全に自分のエゴのために嘘をついていることを見抜いていた。
彼らが押し付け合うエゴに人間の恐怖を感じる杣売り。
でも、彼自身も金沢の妻が落とした短刀を盗んでしまっており、ますます自分を含めた人間不信に陥ってしまう。
結局、みんな自分勝手なんだってことを突きつけられます。
人間の暗黒面をこの目で見、自分で体感した彼は、近くに落ちていた赤ん坊の着ぐるみを剥がそうとする下人に怒るが、お前にそんなことを言う資格はないとけなされてしまう。
でも、検非違使の男は、決して人間はそんな小さな器でできているものじゃないと、子供を預かることに。
<人間の持つ本質的なエゴ>
誰だって、自分が一番大事だと思うの当たり前のことだと思います。
ただ、それを度返しして、誰かのために行動を起こすことって人間らしいことだと僕は思います。
群衆の中に立って 空を見れば
大切な物に気付いて 狂おしくなる
優しい歌 忘れていた 誰かの為に
小さな火をくべるよな
愛する喜びに 満ちあふれた歌(Mr.Children 優しい歌より)
黒澤明作品で度々出演していた三船敏郎と志村喬の演技が素晴らしいので、ぜひ。
検非違使が子供を預かるラストシーン