『ボーダーライン』
映画『ボーダーライン』は、2015年に製作された、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による作品だ。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、『メッセージ』や『ブレードランナー2049』、『複製された男』などの作品も監督している。
今、アツい映画監督だ。
そんな彼が2015年に製作した『ボーダーライン』は、現実にも存在する麻薬組織「カルテル」との抗争を描いた作品だ。
「麻薬カルテル」とは、メキシコとアメリカの国境で活動している麻薬の密輸組織だ。
麻薬組織のメンバーは、一般的にいそうなギャングのような人もいれば、
汚職を働く警官もいたり
※画像はイメージ
国全体がグルになっていたりと、簡単に解決できる対立軸ではない。
この作品は、FBI捜査官のケイトが、CIAのマット・グレイヴァー率いるチームとそのパートナーであるアレハンドロとともに、麻薬カルテルの親玉であるマニュエル・ディアス逮捕に向けた捜査をしていくストーリーだ。
<現実に起きているからこその高い信憑性>
上にも書いたように、この麻薬戦争は現実に起きていることであり、そうだからこそ、緊張感は凄まじい。
捕まえた捕虜への尋問、拷問はえげつなく、目を覆いたくなる描写もある。
しかし、これらは実際に行われていても決しておかしくないのだと思わされてしまう。
<原題「Sicario」と邦題「ボーダーライン」との意味合いの違い>
邦題である「ボーダーライン」とは、アメリカとメキシコの国境線を意味していたり、
超法規的措置、つまり法律を度返しした銃撃戦や捜査の境目が曖昧になり、正義のあり方を問いかけているように思う。
一方で、原題の「Sicario」は、ポルトガル語で「殺し屋」を意味しており、この映画は殺し屋を描いたものであることが示唆づけられている。
ここから考えられることは、両者のタイトルの伝えたいメッセージが少し異なるという点だ。
「ボーダーライン」の方は、様々な思惑によって起こるあらゆる犯罪行為の横行に対する、「正義のあり方」について問いかけられているように思う。
実際に、主人公のケイトは自分の主張を否定されたり、正義を貫けなかったりと、戦場における「正しさ」の定義が揺らぐシーンが多々ある。
一方で、「Sicario」の方は、正義のあり方というより、まさに「殺し屋」をストーリーの主題であることを裏付けている。
このストーリーに登場する「殺し屋」こそが話の主題であり、こうして麻薬戦争が終わらないのも、全て恨みの連鎖によって引き起こされていることが分かるだろう。
この作品とともに、「カルテルランド」という実際の麻薬カルテルを映したドキュメンタリーも見るべき。