『ラッキー』は、ハリー・ディーン・スタントンの人生そのものを写しとった作品だ。
映画『ラッキー』は、2017年に製作されたハリー・ディーン・スタントン主演によるアメリカ南西部を舞台とした作品だ。
あらすじ (filmarksより)
神など信じずに生きてきた90歳のラッキーは、今日もひとりで住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。いつものバーでブラッディ・マリアを飲み、馴染み客たちと過ごす。そんな毎日の中でふと、人生の終わりが近づいていることを思い知らされた彼は、「死」について考え始める。 子供の頃怖かった暗闇、去っていったペットの亀、戦禍で微笑んだ日本人の少女――小さな街の人々との交流の中で、ラッキーは「それ」を悟っていく。
僕はこの『ラッキー』という映画が大好きだ。なぜなら、ハリー・ディーン・スタントンの最期の作品であり、「死」に直面した彼が、何を思い、何を語るのかを写しとったものに他ならないからだ。
彼の演じた「ラッキー」は人生の晩年を生きる老人で、まさに、『パリ、テキサス』の「トラヴィス」の晩年の姿として目に映らざるを得ない。
『パリ、テキサス』は、1984年に製作された、ハリー・ディーン・スタントン演じるトラヴィスの妻と息子を失った孤独な男を映した作品だ。
孤独に荒野を歩く姿は、まさに「トラヴィス」そのものではないか。
『ラッキー』の主人公ラッキー
映画の中心となるラッキーと呼ばれる老人は、現実主義者だ。
【現実主義】とは
① 現実を重視する態度。リアリズム。
② 理想やたてまえにこだわらず、現実に即応して事を処理しようとする態度。リアリズム。(三省堂より)
彼は親友のハワード(デイビッドリンチが演じており、実際にも旧友として知られている)が行きつけのバーで、弁護士に自分が死んだ際の遺産を飼っているリクガメに相続させたいという相談の場を見かけるシーンがある。
そこで、ラッキーはリクガメを相続人にさせるのを認めようとする弁護士を詐欺師だと怒ると同時に、自分も親友を同様、自分の死が近いことを実感する。そこで、彼は現実主義者でありながら、未来への不安を抱えることになる。
死に直面した彼に救いの手を差し伸べたのは、行きつけのカフェで出会った、同年代の老人だった。老人の彼はラッキーと同じく、太平洋戦争に出動した経験があり、沖縄に上陸をした経験があるという。そこで彼は「死に向き合うには微笑みが必要だ」とラッキーに説いた。
ラッキーは映画後半で、いつもタバコを牛乳を買うメキシコ人の店の友人に、息子の誕生会に来ないかと誘いを受け、その会に参加する。
そこで、彼は、メキシコ音楽のマリアッチの恋の歌である「ボルベール、ボルベール」を歌う。
このシーンは本当に感動的だ。まるで『パリ、テキサス』のトラヴィスが別れた妻を思って歌っているように見えてしまう。
Harry Dean Stanton & Mariachi Los Reyes at the Harry Dean Stanton Award Show
歌詞も非常に詩的で感動する。
ボルベール、ボルベール
あの燃えるような愛は
粉々にくだけ
もとには戻らない
苦しくておかしくなりそう
でも愛し方は知ってる
別れてずいぶんたつが
愛の迷子になったようだ
君の言うとおり
素直になればよかったよ
君を取り戻したくてたまらない
どうしても君の腕に戻りたいんだ
君のいる場所なら
どこへでも行く
降服する方法も分かったし
今ならやり直せるから映画『ラッキー』facebookより
このシーンが『ラッキー』 の全てを集約しているように思う。
一度も観たことない人はもちろん、観たことある人も是非もう一度見返して欲しい作品で、僕もまた何度でも見返したいと強く思う素晴らしい作品だ。